The Maestro
ブランコはおそらくバリに暮らす芸術家のなかで最もその名を知られる有名な存在だろう。壮大なる彼のアトリエは、チャンプアン川を見渡す山頂に位置する。バリ建築のなかにも彼の母国であるスペインの雰囲気が感じられるこの華麗な建物には、彼の長いキャリアの中で移りかわっていく興味深い作品のコレクションが展示されている。生前のブランコには、毎日世界中から多くの人々が訪れていた。自分自身を「華麗なるブランコ」と呼んでいた創造性豊かな才能をもつ芸術家からは、強烈なカリスマ性があふれ出ていた。

バリ美術館-インドネシア美術館-絵画アートギャラリー-バリ島ウブド-ドン・アントニオ・ブランコ美術館

Antonio BlancoAntonio BlancoAntonio BlancoAntonio BlancoAntonio BlancoAntonio Blanco
アントニオ・ブランコは1911年9月15日にフィリピンの首都マニラで生まれた。スペイン人の両親をもつブランコは、地理的にも精神的にもミロやダリとの共通点を認識していた。有名な内科医として知られる彼の父親は、スペインとアメリカの戦争時にマニラに在住していた。ブランコはマニラにあるアメリカンセントラルスクールで学んだ。高校時代の彼は美術や文学、語学が得意だったが理科などの教科は苦手だった。彼の語学好きは、スペイン語、フランス語、英語、タガログ語、インドネシア語、少々のバリ語など実に6カ国語に堪能だったことでもわかる。マニラで高校を卒業後、彼はニューヨークのナショナル・アカデミー・オブ・アートにてシドニー・ディキンソンに師事する。若い頃のブランコは特に人間造形に興味をもち、なかでも女性美に魅せられていた。勉強を続けながらも旅に興味をおぼえたブランコは世界中を旅してまわり、1952年にバリ島に落ち着いた。ウブドの王はブランコに、ウブドのチャンプアンにある聖なる川にはさまれた土地を与え、そこに彼は自宅とアトリエを建てた。ブランコと舞踏家で知られる妻のニ・ロンジは、この山の聖地に暮らし、ほとんど海外へでかけることはなかった。米国へのつかのまの旅の途中、ブランコは多くの新しいコレクターと出会うと、その後夫婦はふたりの憩いの地から決して出ることはなかった。

穏やかな環境の中、チェンパカ、マリオ、オーキッド、マハデヴィという4人の子供たちに囲まれて暮らすブランコにとって、バリは全ての中心地となった。バリ島のもつ魅力にすっかり魅せられたのだ。

を受賞した彼の作品は世界的なオークションでも巨額な賞金を獲得した。

火葬の儀式が行われた。ブランコにとって美術館の完成は彼の夢だった。息子のマリオは父の遺志を継ぎ画家になり、夢をかなえようとしている。現在、ブランコ・ルネッサンス美術館は一般に公開されている。館内には巨匠ブランコと息子マリオの作品が展示されている。

アントニオ・ブランコに関する詳細については、著書「華麗なるブランコ」に記されている。